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2008-05-06(Tue)

人生最大の悪夢

 胃をこわし、健康に自信が持てなくなっていた私に、近所の息子の同級生のお母さんから地域の小学校の「いきいき活動」の地域指導員をしないか…というお話をいただきました。「いきいき活動」というのは大阪市独自の活動で、各小学校で放課後子供を預かるのです。仕事は小学生の帰って来るお昼から、そして地域指導員同士で、ローテーションを組みしゅうに3,4回とのことです。年寄りをかかえている私にはちょうど好条件だったので、即答!お願いしました。それからは家のこと、いきいき、そして、夜の塾という、前よりは少し余裕のある生活が始まりました。短大を卒業し、H18年の11月、今の小学校講師になるまでお世話になりました。地域指導員になるには、それまではその小学校のPTAで活躍されたお母さん達ばかりで、学校からの推薦でえらばれていたそうです。ところが、私はPTA役員は嫌で一度もしたことがなかったのですが、40過ぎて大学に再入学したことが某大手新聞に載ったことを校長先生が知ってらしてOKがでたそうです。最初は楽しくて、楽しくて…子供からいっぱいパワーをもらい、指導員同士も月に何回か飲みに行って楽しい日々が続きました。ところが、少しづつ状況が変わってきました。指導員の一人が小学校の校長先生から特別支援教室の介助員の依頼がありました。そのとたん、今までとても人格者で何でもてきぱき仕事が出来、わたしは尊敬さえしていたMさんが許せないと騒ぎ出したのです。それにはMさんが怒るもっともな理由もあったのですが、多分、(指導員は身分的には皆同じ位置にあるのですが…)それまでしっかり者のMさんが中心にしきっていたにかかわらず、別のひとが校長先生に声をかけられたのが気に入らなかったのでしょう。他のメンバーも全員Mさんの味方し、介助員をすることになったひとは村八分状態になりました。なんだかだんだん雰囲気が悪くなり、そんな状況で私も少し感情的になっていたのでしょう。それまで、Mさんはなんでも出来る人なので、彼女の言うとおりにみんなも動いてたのでそれで皆がうまくいってるんだからイイヤ!と軽い気持ちで考えてたのですが、だんだんやり方が横暴になってきていたのも感じていました。他の人も裏でちょこちょこ文句が出始めていました。そこからが私のばかなところです。だんだん我慢できなくなり、みんなとも「Mさんのしてること、おかしいんじゃない!」と一緒に裏でいってしまったのです。ただ、私が他の人と違ったのは、本人にも言ってしまったことです。それがとんでもないことになってしまいました。ある日、「夜に仕事が終わってから集まって話し合わない。」とみんなで集まることとなりました。それはなんと、私のつるし上げのための会だったのです。そこで言われた内容は、思い出すだけでも涙がでそうなので書きませんが、あることないこと作られたことが多く、私が実際言ったことは、みんながうまく仕事がまわるための提案くらいです。そして一番許せなかったことは、年寄りの介護しながらの人は何人かいたので、お茶しながら…仕事してる時だけはおばあちゃんから離れてわすれられるのが救いだわ!…といったことを「年寄りのうっぷんばらしに仕事されるなんて迷惑だわ!」と言われたことでした。年寄りをかかえているひとはみんな同じこと言ってたのに…。同じこと言ってた人にまで言われたことはショックでした。後で個人的に話してくれた人によると、「Mさんは、息子さんをあんないい大学(某有名国立K大学)にいれているし、しっかりしてるし、あの人には逆らわない方がよかったんじゃない?しかもあなたは大学でてるし、教職免許もってるし!」…もうばからしくて訳わからなくなりました。私は生まれて初めてのつるし上げにあい、生まれて初めて人前で泣きました。…ねえ、息子が賢ければ、親までえらいわけですか?大学でてるからって、私はえらそうにした覚えもないし、えらい!なんて思ったことないし…反対に高卒でも(それまで高卒だなんて意識にもなかったんだけど…)Mさんがなんでも出来ること、尊敬してたのに…。私、間違ってます?それとも私、よっぽどバカなんでしょうか?人生最大の悪夢でした。ただ、最後の私のプライドでこの仕事絶対やめないとこころに誓ってました。だって、神に誓って間違ったことはした覚えはなかったから…!
2008-05-05(Mon)

介護の日々

 大阪に帰って、3年ぶりに姑との同居が再会し、専業主婦になった私はともかく子供中心の日々を送っていました。多分子供達には迷惑だったかもしれませんが、そのころの自分はバリバリの教育ママと化していました。自分が私学育ちでたくさんのすばらしい友達にめぐり会い、公立ではなく私学に行ったことがいまだよかったと思ってたからです。…ただ、今はかつての良き時代の私学とは少し様変わりしてきているみたいですが…子供達を塾に入れ、うちに帰ってくれば私が勉強を見る…。そんな毎日でした。…今から考えると一番エネルギッシュだったし、ある意味子供達との良き楽しい思い出です。息子達に手が放れるとよけいにそんな時代を思い出し、あ~あのころがなつかしくなります。
 そんなころです。姑が急におかしな言動が出るようになってきました。もともと、おばあちゃん(姑)は物をはっきり言う性格で、「そこどけ!そこどけ!わたしが通る!」って感じの人でした。私が風邪をひいても「日ごろの自分の管理が悪い!」と言いながら、自分が風邪をひくと「あんたの入れたおふろがぬるかったから、風邪ひいた!」って人で…実の娘、主人の姉日く「あの人は私の小さいころから、あんなんだから…」と言うぐらいの人だったので、むちゃくちゃなことを言っても、「はい、はい、そうですか!」と流していました。ところがだんだん、「わたしの通帳がなくなったけど、あんたが取ったとちがう?」に始まり、お金がない、めがねがない…一番おおかったのは、お金に関してでした。探し出したら、昼も夜もなく、夜中、私のベッドの横に立っていて、寝ている私に「早く取ったお金返して!」という日々が続きました。さすがの私もだんだん疲れてきました。主人に言っても「ぼくは明日仕事があるんや!年寄り一人見られへんのか?」の一言。それからは、一人でおばあちゃんと格闘の毎日でした。
 そのころ息子達を塾に行かせていましたが、今は昔と違って塾にも入塾テストに通らないと入塾できない時代で、その入塾テストのために塾に行かせるという人が多い中、私は自分でとくに三男は私が家で教えていました。それを知った三男の同級生が「うちの子の勉強もみてくれない」と頼まれたのがきっかけで、最初はわが子とその同級生一人教えていたのが、いろんな人に知られることとなり、だんだん本格的な寺子屋式塾となっていきました。お母さん方の情報網には驚きましたが…!昼はおばあちゃん相手しながら、夜の塾の準備、夕方には夕食の用意をし、夜は子供達に勉強を教えるという生活を送りました。しかし、おばあちゃんのおかしな言動、行動はどんどんエスカレートしていきました。主人も少しづつ理解し始め、「君もずっと家いいたら大変だろうから、外に出ること考えたら…」と言ってくれました。しかし、仕事など今さらすぐに見つけられないし、仕事となると無責任になるので無理です。そこで考えたのが、おばあちゃんの行動がなぜそうなったのか?おばあちゃんのこうどうに対する対策を学びたい…ということで、「介護」を学ぼうと思いました。そこでH12年、家から近いということで謀K短大に社会人入学しました。それからというもの…朝から大学夕方に食事の用意をし、夜は近所の子供達に勉強を教え、夜中に大学の勉強をする。そのうえ認知症のお年寄りの心理(またまた出ました!またもや心理!)を勉強すべく、東京の慶成会老年学研究所に月1回、東京に行く…という生活でした。その間もたまにおばあちゃんに振り回され、授業を休むこともありましたが、H14無事卒業して『介護福祉士』をGETしました。ところが、その2年一日がフル回転、おまけにお休みには子供の学校の行事が入ったりして、自分では気づかぬうちに無理してたのでしょう。卒業の前の10月、吐血して入院しました。大学の先生には、一年老人施設で働いて来てくれたら講師として大学で働かないか?とお話をいただきましたが…自分の体に自信がなくお断りしました。
 それからも、おばあちゃんの介護は壮絶なものでした。私の実家に電話をして、うちの母に「お宅のお嬢さん、どんな育て方されはったんですか?人のお金を盗むなんて…!」と言い、うちの母が「うちの子はそんな子ではないと思います。」と答えると、「お母さんが知りはらへんだけで…自分の子のことも分からないなんて!まあ~勝手に自分の子を信じときはったらいいわ!」とバシッと電話を切ったそうです。さすが、主人もそれを聞いて烈火の如く怒り狂いました。自分の母に鬼のように怒り、私の母には平謝り!やっと初めて現実を実感したようでした。それからは、だいぶ私をかばってくれるようになりました。
2008-05-03(Sat)

専業主婦の道の選択

 児童相談所をやめた理由ですが…妊娠中であったこともあり、最初はお母さん達のカウンセリングを中心にしていたのですが、出産を機に子供達も見たいということで、子供達担当に変えてもらったとたんに2人目の妊娠に気づきました。一人目がなかなかできなかったので、そんなすぐに2人目に恵まれるとは思ってなかったのです。相談所に来る子供の中には多動の子もいるため、同じ職場で流産した人がいると聞き、又そのころの私の能力の限界も感じ、結果子育てに専念しながらスキルアップするべく、専業主婦を選択しました。やめることに相当悩みましたが、いっしょのチームのメンバーに「一度やめても、ずっと心にろうそくの灯火のように、いつかは復帰するんだ…という気持ちをと細く長く持ち続ければ必ず思いはかなえられるから…」という言葉を信じ決心して家庭に入りました。それからは、子育て中心の毎日!そして、3人目が生まれた後3年間主人の転勤で転々とし、その土地、その土地でいろんなママ達との交流で楽しい毎日でした。心理学なんて忘れたように…毎日、子供達のおやつやパンは手作り!ママ同士で料理やパッチワーク、デコパージュなどを楽しい日々でした。
 そして次男が小学校入学、三男が幼稚園に入園と年を迎えようとしたころ主人の父がなくなり、それをきっかけに、母を一人にしておけなくて大阪に戻ってきました。すると突然、又心理学がしたい虫がうずうずとわいてきました。…ところが、主人に「年寄り(母)の面倒はだれが見るんや!子供もまだ小さいのに…」と一喝!又先送りとなりました。あ~あ!これも又女の仕事か~いつになったら私一人の時間がとれるんや~!…と心の中でさけんでました。そこからが、私の想像をしなかった地獄が始まりました。
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Author:tonko
 50才から小学校の講師をしています。
写真大好き!お料理大好き!フルートや歌を趣味とする大阪のおばちゃんのおばちゃんです。

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